2024デイ・オブ・リメンブランス

四世に及ぶ日系人強制収容の波紋を理解する

1942年2月19日に署名されたExecutive Order 9066 (左)と、2024年2月18日のシカゴ歴史博物館前のストリート

 約12万人の日系人強制収容を可能にしたフランクリン・ルーズベルト大統領による大統領命令9066を忘れまいとする「デイ・オブ・リメンブランス(DOR)」が2月18日、シカゴ歴史博物館で開催された。 

 同イベントは、危機的状況下における市民権のもろさと、為政者による人権侵害を繰り返してはならないという「寝ずの番」の重要性を忘れないために毎年行われている。

 第二次世界大戦後、強制収容された日系人は米政府による不当な行為に対して抗議活動を起こし、1988年にレーガン大統領がシビル・リバティーズ法に署名、米政府は公式謝罪と補償金の支払いを実施した。

 しかし、強制収容やあからさまな人種差別や偏見を受けた日系人家族や個人の身体的、精神的痛手は深く、戦後79年を経ても彼らの子孫に影を投げかけている。今年のDORでは、ミシガン大学のダナ・ナガタ心理学教授が、数十年に亘って調査を続けた日系二世、三世、四世に対する強制収容の影響について語った。 

 2024年DORは、退役軍人の会シカゴ二世ポスト1183部隊による国旗設置で開幕し、ブライアン・オザキさんブランドン・ジョンソン・シカゴ市長の「市長の宣言」を代読した。

 その後、ナイルズ・ウェスト高校のソフィア・オザキさんとエヴァンストン・タウンシップ高校のアレックス・ナカネさんが、日系人の立ち退きを命じる1942年の「民間人排斥令」を読み上げた。


シカゴ市長宣言

 DOR当日はブランドン市長または市長代理が出席できなかったため、DOR実行委員会のブライアン・オザキさんがDORを認識する「市長の宣言」を代読した。

内容は以下の通り:

●1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト米大統領が大統領命9066に署名し発令したことにより、西海岸に住む日系人12万人が退去を強いられ強制収容される結果となった。また、連邦捜査局と米海軍情報部は、日系人コミュニティが米国に危機を引き起こす行為は無いと報告しており、さらに第二次世界大戦中に日系人に対して不正行為の告発は皆無であったので、

●第二次世界大戦中、日系人は第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団に任意で入隊し、模範的な勇敢な行為を示したので、

●大統領命9066の感情に関連する文字表現(connotation)の総ては、軍事的な必要性を正当化されるものではなく、軍事状況の分析から用いられたものではない事が連邦政府により設置された「戦時民間人転住・収容に関する委員会」の調査により1983年に明白になったので、

●1988年8月10にレーガン大統領がシヴィル・リバティーズ法に署名し、大統領令9066が国家保全に必須であったとは正当化されず、日系人強制収容が重大な不正であったことが明白になったので、

●今日、我々の歴史の中で不当行為の総ての形が相互接続されるこの時に、全米の総ての背景を持つ家族や個人により過去の不当行為を忘れないためにDORが開催され、2024年のDORが、EO9066発令というアメリカ文化と歴史を永遠に変えた出来事から82周年となるので、 

●シカゴ市は活発な日系コミュニティの長年に亘るホームであり、シカゴDORは日系組織総出で開催され、教育と熟考のためにいろいろなプログラムが組まれているので、

●シカゴ市長ブランドン・ジョンソンは、ここにシカゴ・デイ・オブ・リメンブランスを宣言し、シカゴ全体が団結し、我々の歴史の中の騒乱期における日系コミュニティの難儀と勇気、疑いを晴らそうとする決意を認識することを要請する。

2024年2月18日 ブランドン・ジョンソン、シカゴ市長

キーノート講演:強制収容による遺産の波紋

By ダナ・ナガタ心理学博士 

ダナ・ナガタ心理学博士

 ミシガン大学アン・アーバー校で心理学教授を務めるダナ・ナガタ心理学博士が、自ら調査した四世代に亘る日系人強制収容のインパクトについて講演した。日系三世のナガタ氏の両親もトパズ強制収容所に収容されていた。

 ナガタ氏は、戦時下の不当な強制収容経験と戦後の補償を勝ち取る行動に反映される二世の視点や行動、また、戦後生まれの三世への強制収容による心的外傷のインパクトについて探索した。ナガタ氏の近年の研究は、82年を経ても四世に引き継がれているインパクトにも及んでいる。

 ナガタ氏は強制収容がもたらす心理学的結果についての複数の記事を出し、出版本「Legacy of Injustice: Exploring the Cross-Generational Impact of the Japanese American Internment」や「Qualitative Strategies for Ethnocultural Research」に複数の章を書いている。 

 日系三世のナガタ氏は6歳の時、ロサンジェルスに住む祖母を訪ねた。そこで貝殻を入れた瓶を見つけたナガタ氏は「誰が作ったの?」と訊くと、祖母は「お母さんに聞きなさい」と答えた。

 母に訊くと、母は「キャンプで作ったのよ」と答えた。さらに「どこで見つけたの?」と訊くと、母の答えはそっけなかった。そしてそれ以上の質問を無言のうちに拒否していた。

 後にナガタ氏は、この様な不可解な家族との会話に出くわすのは、ナガタ氏一人ではなく、他の三世達も同じような経験をしているのが分かった。

 このような事から、ナガタ氏はこの集団的な心的障害のインパクトが、戦後生まれの三世の生活にどの様に波紋を広げているのか、1991年に調査を始めた。全米の三世にダイレクトメールを送り、回答してもらった。当時の三世の平均年齢は32歳だった。

 

四世に広がる強制収容の波紋

-四世の見方-

 それから30年が経ち、ナガタ氏は四世を対象にオンラインで調査を実施した。その調査はフリーアンサーの質問を含んでいたため、440人以上の四世が心に浮かぶことを自由に書いてくれた。

 ナガタ氏はその解答からカギになる事柄を識別し、家族の行動、自己認識、社会的正義について分析した。今回の講演では四世の声にハイライトを当て、強制収容の波紋が投げかける四世の経験と考えについて語った。

 3つのテーマ「家族の行動」、「自己認識」、「社会的正義」各々について、回答者110人以上が「インパクトがある」と答えた。

 

-家族の行動-

沈黙と回避

 強制収容された祖父母によって築かれた家族について、四世はいくつかの行動を挙げている。カギとなる行動の一つは、強制収容の話題に対する沈黙、または回避。家庭でその話題になればいつも静まり返り、喪失感や恥辱感に満ちた重い沈黙があった。四世は家族について多くを知らず、知ろうとしてもその話を切り出すにはセンシティブ過ぎた。

 

感情的と距離を置くこと 

 四世は家族との関わり合いの中で、強制収容が感情と距離を置く事の一因となっていると見ている。彼らの親である三世は、しばしば感情表現ができなかったという。

 家族と感情的な親密さを持たないという四世は、それについて強制収容された先祖から伝わるものだという。そして世代にまたがる苦悩は自分達の世代にシフトしているとコメントしている。

 ナガタ氏も自己表現が思うようにできなかったと思い当たる。ナガタ氏は、我々は生存に必要なものすべてを手に入れたが、喜怒哀楽の多くが欠如していると語る。

 

-アイデンティティ-

文化の損失とアメリカ人であること 

 強制収容は、日本人と見られる事で大きな不利益や障害を被ることを二世達に知らしめた。このため、二世達は子供達をその様な事から守るために、日本文化や日本語の伝承に重点を置かずに育てた。しかし、そのことが強制収容のインパクトを四世に伝えることになった。

 三世のアイデンティティ、日本文化の喪失、アメリカ人よりもアメリカ人らしくなれいうプレッシャー、これらが世代を越えたインパクトの第二のカギとなる領域だとナガタ氏は指摘する。

 ある四世は、二世の祖父母が日本の背景を捨て三世に伝えずに育てた事が、両親も自分自身も日本文化、日本語、歴史、自らの家族史でさえ知らない事に繋がるという。恥辱感や知識の欠如と関連して考えると、自分の民族アイデンティティは強制収容、外国人嫌い、そして白人優位の結果だと思うと書いている。 

 また別の四世は、自分の父親を白人のアメリカ人に同化させるために取った祖父母の子育てのやり方について、強制収容が影響したということに疑問を持つという。当時の環境下で、祖父母は日本人と見なされる事に耐えられなかったのだと思うとコメントしている。

 

事なかれ主義

 強制収容を被った日系人は、日本的な振舞いを絶たなければならなかった。彼らが「白い」方に向かえば、より安全と思われた。安全を確保するためのメッセージは、総てのトラブルを避け、周辺を不快にさせないように常に気を配り、目立てば「出る釘は打たれる」ということだった。

 ナガタ氏は「出る釘は打たれる」について、総ての日系人が分かち合った訳ではないが、同氏が懸命に闘った事だと回想する。

 

心の健康

 四世は、祖父母が強制収容された事によって感情的な重荷を背負っている。

 四世の一人は、過去の出来事から受けた大きな喪失感、恥辱感、悲しみから来る重荷に、70代から90代の家族は未だにもがいており、その重苦しさがいつも周りにあるという。「我々四世の世代も向こう60年に亘って、その心的障害を背負わなければならないのか」と書いている。

 また、強制収容によってレッテルを貼られた事、不安による損失、そして鬱、その様な家族の経験から来るものが自分の人生に付きまとい、落ち着かない感じや怒りと共に考えを巡らせながら生きているとコメントしている四世もいる。

 

政府への懸念

 四世は家族に起きた強制収容に関して、政府に対する懸念を皮肉を交えて表している。それには、強制収容によって市民に対する政府の権力乱用に気付かされたこと、16分の1の有色人種の血が入っていれば誰もが強制収容されること、そして、強制収容は再度起きており自分にも起きる得る、「つまりここは白人のアメリカだから」などと表現している。

治癒:社会的正義

 重要な事に、四世はいろいろな強制収容のインパクトについて書いていたが、同時に癒しになるインパクトについても書いている。 

 その一つは四世の社会的正義への注視で、日系アメリカ人が直面した不正義のために自分には声を上げて非難する責任があり、弱者側と団結して立つというコメントがある。また、強制収容は決定的なモラルのコンパスであり、日系人の経験について市民教育に乗り出すという意志を示すものがある。この様な行動は、未来の世代に自分達と同じ経験をさせないためだと書いている。

 

治癒:誇りと回復力

 四世は、家族の過去に繋がる誇りと回復力を感じるという重要な気持ちを持っている。

 四世の一人は、我々により良い生活を与えようと、家族が困難に立ち向かい乗り越えて来た事を学んだことは、我々に立ち上がる勇気を与え誇りを感じさせてくれる。家族の歴史は前向きのインパクトを与えてくれたとコメントしている。

治癒:感謝の気持ち

  四世の家族への感謝の気持ちの中に治癒が見られる。

 一人の四世は曾祖父母、祖父母、両親のハードワークをありがたく思い、日系人アメリカ人であることをありがたく思うと書いている。それは、家族の愛情、立ち直る強さ、決して諦めずやり通し、正義のためにいつも立ち上がり、それを常に乗り越えるからだと結んでいる。

 最後にダナ・ナガタ心理学博士は、「私の調査から、強制収容の波紋は四世の世代の心の中に痛みや損失を明確に残していると言える。一方で、波紋の影響が四世を未来へ触発する源となり、彼らを未来へいざなう役目を果たしている事を認識することも重要だ」と述べた。

 

左より、リサ・ドイ氏、ジェイイー・ナカムラ・リン氏、ダナ・ナガタ氏

 もう一つのキーノート講演として、「The Night Parade: A Speculative Memoir」の著者、ジェイミー・ナカムラ・リン氏による同著書についての講演も行われた。

 最後にシカゴ市民協会プレジデントのリサ・ドイ氏をモデレーターに、ナガタ氏とナカムラ氏によるディスカッションとQ&Aが行われた。


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 デイ・オブ・リメンブランスは毎年、シカゴ日系評議会、シカゴ日系人歴史協会(www.CJAHS.org)、シカゴ市民協会(www.jaclchicago.org)、ジャパニーズ・アメリカン・サービス・コミッティ(www.jasc-chicago.org)、シカゴ共済会(https://jmaschicago.org/)の共催、シカゴ歴史博物館の協力で開催されている。

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