想い出溢れるシカゴ双葉会補習校卒業式

周りの支援と日本語維持の意志、だからこそ両立できた

保護者に向かい、中学部3年の泉遥樹さんのピアノ伴奏により「旅立ちの日に」を合唱する卒業生一同

斎藤晴彦校長より卒業証書を授与される卒業生

 春の訪れを感じさせる清々しい青空に恵まれた3月2日、シカゴ双葉会日本語学校補習校の卒業式が行われ、小学部47人、中学部19人、高等部6人が卒業した。

 卒業式会場となった同校体育館には卒業生の家族がブリーチャーいっぱいに座り、入場して来る卒業生を拍手で迎えた。

 厳粛な雰囲気の中で斎藤晴彦校長から一人一人に卒業証書が授与され、卒業生は溢れる達成感で表情を輝かせた。

 卒業証書授与後、一日も休まずに通い続けた小学部の浅野柊平さん、伊東美椛さん、中学部の亀山隼人さん、松田みことさん、松田龍二さんに皆勤賞が贈られた。

 また、幼稚部から高等部まで13年間補習校に通い続けたジェスキー恵都さんに双葉賞が贈られた。

校長式辞

斎藤晴彦校長

 斎藤晴彦校長は式辞で「皆さんは生まれてからそれぞれ12年間、15年間、18年間を過ごしました。そして補習校で過ごす時間の中で多くの事を経験し大切な事をたくさん学びましたね」と卒業生に語りかけた。

 時間には長さがあり、楽しさや辛さなどによって同じ時間でも長さが違って感じられる事がある。一方、時間には重さがあり、その重さも人それぞれによって感じ方が異なる。それは経験した事や日々の出来事、その人の努力の度合いによって違いが生まれ、どの様に生きているかで異なってくる。斎藤校長は「補習校で過ごした時間の重さを、これからの人生で様々な試練を乗り越えて行くための土台として欲しい」と卒業生を鼓舞した。

 また、斎藤校長は「卒業生の皆さんはこれまでよりも大きな成長を必ず遂げ、同時により大きな悩みに向き合うだろう」と話し、「私は次の3つのために人間は生きると考える」と次のようにアドバイスを贈った。

 一つは自分の夢を叶えるため、二つ目は人の役に立つため、そして三つ目は前記の2つが叶わなくとも今日より明日へと一歩でも前進するため。「どんなに辛く悲しい事があっても目先の事にとらわれることなく、この3つのどれかを貫くことで、人は自分を奮い立たせ生きて行こうと頑張れる。だから人間は素晴らしい。どんなことがあっても皆さんは夢と希望を持ち、これからの時代をしっかりと生きて下さい。そして補習校で学んだことを糧として日本と世界の架け橋となって活躍することを願っています」と卒業生に言葉を贈った。

 齋藤校長は保護者に向かい、卒業生在学中の保護者の理解と支援に感謝の言葉を述べた。そして、次のステージへと進む卒業生のために「これまで以上に親子の絆を大切にされると共に、お子様の成長に合わせて日々新たな心でお子様を見守って頂ければ」と巣立ちゆく卒業生とその家族を思いやった。

 

来賓祝辞

岸直哉首席領事

 来賓の岸直哉在シカゴ首席領事は「抜けるような青空が皆様の卒業式を祝福してくれているようだ」と話し、保護者の方々は卒業の日まで子供達の背中をたたきながらお弁当を作ったり補習校に送迎したりと大変な事も多かったと拝察するが、今日の日に共に歩んで来た彩り豊かな日々を噛みしめておられるのではないかと、保護者達の苦労を思いやった。そして「これまでのご尽力に深い敬意と共にお祝い申し上げます」と祝辞を述べた。

 また、「憎しみよりも尊敬を、分断よりも調和を、そうした社会を発展させて行く上で教育ほど強力な手立ては無い、今ほど教育の重要性が認識されている時は無い」と話し、学校での日々の指導に力を入れて来た双葉校の教育・運営に携わってくれた総ての関係者に感謝の気持ちを述べた。

 岸首席領事は自分自身に言い聞かせている事として、今日から新しい一歩を踏み出す卒業生に「他の誰でもない自分を楽しむ。他の誰でもない自分を面白く生きる。自分が面白いと思う事を極めるために、ずっと工夫を凝らし続ける。それが思い通りに行かなくても、きっと次があり、次の段階にまた臨めば良い。誠実にやっていれば必ず扉を開いてくれる人がいる。そうしないと社会、或いは身の周りの団体は続いて行かないと分かっている人がいるからだ」と話し、「自分が懸命にやっている事が、大きな悩みに直面している人に勇気を与えることがあるかも知れない。そういった優しさがいつか勇気を生み、その輪が広がって行く、私は毎朝そんなことを自分に言い聞かせています」と卒業生に、はなむけの言葉を贈った。

 

高瀬慎一双葉会副会長

 高瀬慎一双葉会副会長は、知識と知恵について語った。知識とは事柄について知っていること、一方、知恵とは物事を理解し適切に処理する能力をいう。

 高瀬氏は「学校では知識を教わりますが、知恵にするためには皆さんが日頃から知識を活用して実践し、理解することが大切です。『分かる』と『できる』、これは大きな違いです。知っているだけではもったいない。ぜひ新しい事に勇気をもって挑戦して『できる』ことをどんどん増やして下さい」と卒業生を激励した。

 自らも子供を補習校に通わせている高瀬氏は「卒業生の保護者の皆様方は、あらゆる手をつくしてお子様をシカゴ双葉会補習校に通学させた事と思います。これをやり切って今日卒業の日を迎えた事は、本当に嬉しい限りだと思います」と話し、学校運営に対する保護者の方々の支援と協力、また教職員の皆さんに対しお礼の言葉を述べた。

 

送辞

 送辞で中学部2年の生石理人さんは、コロナ禍後に先輩達との交流が増え、運動会で見た先輩たちの積極性やアイディアを形にする創作力などに感銘を受けたと話し、色々な行事の楽しい想い出を語った。

 その上で生石さんは、生まれも育ちもアメリカであることから友達との出会いと別れが多く、特に別れには悲しい思いをすることが多かった。だが出会いと別れは自分の心を成長させてくれたと話す。「これから踏み出す世界には新しい出会いが待っている事でしょう。新しい環境で不安な気持ちになる事があるかも知れません。その時は補習校で、現地校との両立で辛い思いをしながらも乗り越えて通った事、友達と一緒にたくさん笑った事などを思い出して下さい。補習校で身につけた知識と経験を活かし、アメリカと日本の文化を基に、それぞれの夢や目標に向かって歩んで行かれる皆さんを在校生一同心より応援しています。皆さんが築き上げて下さったこのシカゴ補習校の校風を受け継いでいくことをここに誓い送辞とさせて頂きます」と卒業生に別れの言葉を贈った。

 

答辞

高橋一誠さん

 補習校に13年間通った高橋一誠さんは、勉学と野球をしっかりと両立させ、卒業の日を迎えた。

 13年前の入園式で、鮮明に記憶に残ったのは校長先生が話してくれた有賀忍の「いやだいやだのやだもん」の事だった。最初は嫌でも不安でも新しい事に挑戦する事の大切さや、やった事、やらなかった事のすべてが自分に返って来るということを話してくれた。

 高橋さんはこの話がずっと心に残り、どんなに多忙を極めても嫌にならず、総てに挑戦することを諦めずに13年間やって来たと話す。

 その中で一番頑張った事は、勉学と野球との両立だった。3歳で野球を始め10歳からはずっとトップチームでプレイして来た。シーズン中は全米各地に遠征し、オフシーズンは毎日練習とトレーニングに取り組む、文字通りの野球漬けだった。だが勉学と野球を両立することは全く無理だとは思わなかった。それができたのはクラスメート、先生方、家族のサポートのお陰だった。

 高橋さんはなぜ補習校に通い続けることができたのか、その理由は二つあると話す。

一つは前記の通り、周りの人々のサポートだった。クラスメートと過ごす時間がとても楽しく、補習校に行きたいというモティベーションを皆からもらった。野球で欠席した日の授業内容や資料は先生がまとめて渡してくれ、両立がスムーズにできるように応援してくれた。また、母はウィスコンシン州の自宅から補習校まで送迎してくれ、お弁当も持たせてくれた。父は野球の試合がある度に米国全土に車を走らせ応援に来てくれた。皆さんのサポートに「言葉では感謝しきれません」と話す。

 二つ目は、日本語を絶対に維持しようと固く決心していた事だった。自宅周辺に日本人は殆どおらず、補習校に行かなければ日本語に触れる機会は家族だけになるという危機感もあった。高橋さんは「日本という共通点で多くの素敵な人達と出会って来ました。日本語を通して起こりえる未来の出会いのためにも、これからも日本語を大切にして行きたい」と語る。

 卒業によりクラスメートとの別れは辛い。「できることならこの充実した日々を失いたくない」という高橋さんは「さようならではなく、行ってきますと言いたい」と話す。そしていつの日にかひとかどの人間になった時には学校前の桜に「ただいま」と声を掛けたいと語った。そして「双葉校は私を形作ってくれた永遠の存在です。補習校に関わる総ての皆様に心より感謝し、卒業生代表の答辞とさせて頂きます」と答辞を結んだ。

 

 最後に卒業生一同は保護者席に向かい、中学部3年の泉遥樹さんのピアノ伴奏により「旅立ちの日に」を合唱した。

保護者に向かい「旅立ちの日に」を歌う卒業生一同

 同日午後からはシカゴ双葉会日本語学校補習校幼稚部の卒園式も行われ、幼稚部の園児46人が元気に卒園した。

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