定住者会創立75周年を祝う転住、一世の余生、そして現代のニーズに応えるサービスを提供

定住者会(Japanese American Service Committee)の創立75周年記念式典が5月19日、シカゴ市ノースサイドにあるArtifact Eventsで開催され、数世代に亘る日系アメリカ人やその友人知人らが参集した。また、田島浩志在シカゴ総領事や三谷哲郎シカゴ日本商工会議所事務局長などが出席した。会場には寿司をはじめ和風料理やフィンガー・フードが並び、参加者は75年に及ぶ奉仕を続けて来た定住者会の歴史に祝賀のグラスを掲げた。

Photo: JASC President Stacy Uchida Brown speaking before the guests, including Consul General Tajima | Yoshiko Urayama

定住者会は、年齢に拘わらずすべての人々に日系アメリカ人の歴史や文化を経験してもらい、また、革新的で良質のプログラムや、日系以外の様々な文化を持つコミュニティに合わせたサービスを通して、人々の心身の健康のための奉仕に従事している。75周年記念式典のメイン・イベントは、これからの定住者会の活動のためのファンドレイジングだった。その目標額は75周年にちなんだ7万5,000ドル。定住者会CEOマイケル・タカダ氏の機知に富んだリードにより、来場者が次々に挙手し寄付を申し出た。そして、目標を超える寄付が集まった。 

定住者会理事長のステイシー・ウチダ・ブラウン氏(Stacy Uchida Brown)は、定住者会に設置されたレガシー・センターの重要性について語った。ブラウン氏の家族は、強制収容経験について語ることはなく、同氏は20代になるまで何が起きたのかを知ることはなかった。

戦後にシカゴに定住した祖父母や両親は、アメリカ人として新しい生活に溶け込むことを優先し、収容所の出来事を話し始めたのはずっと後の事だった。こういったブラウン氏の経験は、殆どの日系アメリカ人家族に共通している事だった。

ブラウン氏は「レガシー・センターは皆さんが日系人の歴史をさかのぼり、家族の歴史と皆さん自身を結び付ける一つの道。レガシー・センターで歴史を探索し、家族の事や知らないことを学んで欲しい」と呼び掛けた。

定住者会の歴史

シカゴ新報は1946年1月3日号で、「転住委員会(現定住者会)は1月6日夜、1110北ラサールにある仮事務所でオープン・ハウスを開催する」と報じている。同オープン・ハウスにはシカゴの白人及び日系人の各団体代表者を招待しており、映画や音楽等の余興と共に茶菓でもてなす事になっているという。

また、一世や二世のための健全な娯楽の提供が必要であるという転住委員会の立場から、同委員会の主催で囲碁大会や英語講習会を開く計画があると報じている。

翌週、1946年1月10日号で、シカゴ新報はさっそく、転住委員会がシカゴ仏教会で1月12日と13日の両日、全シカゴ市囲碁大会を開くと報じている。

その翌週の1946年1月17日号で、シカゴ新報は「去る六日のオープンハウスの催しによって正式に仕事を始めた転住委員会では、次の創立趣意書を発表した」と報じ、その全文を掲載している。その概要は:

  • シカゴ市で生活を再建している約2万人の同胞がおり、その中には老人、小児、病人、親を亡くした青年男女など社会の援助を必要とする人々が沢山いる。また、勤勉に働いて来た一世たちの心情を慰める社交や娯楽機会を必要とする。更に再転住問題で最も重要な就職や企業の紹介を求めている人達が沢山いる。

  • この過渡期におけるあらゆる問題に適当な解決を与え、日系人として進むべき正しい方向を示し、再建の目的遂行を促進し、将来の繁栄と幸福のためには確固不動の信条に立ち、真面目に働くことができる奉仕組織が必要なことは各同胞が認めている。

時代の必要に応じて生まれた再転住者委員会は、社会に既存する各団体の機能を有効に利用し、それらの団体と協調し、奉仕団体として使命遂行に邁進することに決定した。

シカゴ日系百年史によると、転住者委員会のメンバーは、会長・前川ハリー、副会長・松永多平、書記・西節子、会計・杉本幸八郎、監査・丸山保教、専務理事・川崎徳義、理事・増田志直、日浦ウィリアム、藤井寮一、桝中幸一、久保瀬暁明、大山義松、森川実雄、九鬼松三郎、戸田栄、近藤市九郎、竹森松太郎、ブレントン・ローター、ウォルシュ・ウォーター。

以後転住者委員会はシカゴに再転住するする人々に法律、銀行、医療、不動産関係などの専門家情報を提供し、アパートなどの住居探しや就職などの世話をする一方、慰労のための娯楽の提供にも力を入れた。

再定住が落ち着き、高齢化する一世の住居やナーシングホームの建設など、時代の流れに応じた奉仕を続けて来た転住者委員会は「定住者会」と呼ばれるようになった。地元社会に同化した三世、四世の時代になると、シカゴ市北部の人々へと奉仕の範囲を広げ、定住者会というよりは英語でJapanese American Service Committee(JASC)と呼ばれる方がその活動内容により合致するようになった。

しかし、JASCの日系コミュニティへの奉仕は発足時から変わることなく、多岐にわたる福祉サービスを提供している。同時にアップタウンを越えたより広い地域の人々の健全な生活のための奉仕を続けている。

文化面では日系の伝統を保存するだけでなく、現代の文化環境に沿って活発化させている。アーティストのレジデンス・プログラムなどを通してアーティストの育成を図り、才能を発揮する機会の提供なども実施している。

新設されたJASCレガシー・センターでは、国家的に重要な日系社会の絵画をはじめ、書物、個人の日記、歴史を物語る音声、工芸品、写真、フィルムなどが収集されており、一般の閲覧も可能。(要・事前予約)

時代々々のニーズに応えて来たJASCの歴史は、websiteで詳しく見ることができる。

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